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こんにちは、町村ゆきです。
ブログにお越しくださりありがとうございます。



最近、「父」という言葉をよく耳にします。

私はカウンセリングや心理学に出会うまでは、「父」という存在を自分の中に感じたことがありませんでした。

私の親は母だけ。

私は母から生まれてきたのだから、私の親は母でしょ?

こんな感じでした。


今は、父の存在をちゃんと感じることができるようになりましたが、それでもたまに、ぼんやりになってしまうこともあります。

本当に最近、「父」という言葉を耳にする機会が増えて、私も改めて父とのことを向き合ってみたいと思い、今、緊張でいっぱいなのですが書いてみようと思います。


よろしければお読みください。


***


私にはお父さんの記憶が一つしかありません。

私の両親は私が小さい頃に別居をしました。

原因は父の浮気です。

その一つだけ覚えている父の記憶は、父のマンションに母と妹と3人で行った時のことです。

私が幼稚園の年長の頃です。

父がいるであろう、その部屋のインターホンを押しても父の応答は無かったのですが、台所の小さな窓が開いていました。

中には確かに人の気配はする。

「ちょっとゆきちゃん!、この窓から入って玄関のカギを開けて!」

私は何が何だか分からなったのですが、母の言う通りに小さい窓からおしりを押されて部屋に入りました。

頑張って台所を降りて玄関のカギを開けようとしたときに、父の気配が分かりました。

その後ろで髪の長い女の人が、すぐそばのお風呂場の中にいるのが見えました。


私は鍵を開けました。

その後の記憶はほとんどなく、母が父に文句を言った後、女性の存在に気づいて泣きながら怒り狂っていた姿だけ覚えています。

それ以降父に会う事は無かったと思います。

私が小学校3年生の時に父と母が離婚しました。

母と私と妹はそれまで住んでいた大阪から母の実家がある福島まで引っ越しをしました。


家の中では父の話は何となくタブーの雰囲気だったので、ほとんど話さなくなり、私の中ではいつからか、父の存在は無かったことになっていきました。

誰かに「お父さんは?」と父のことを聞かれても、「居ないです。」と、私はいつも答えてきたと思います。

自分の人生に生きづらさを感じて、初めてカウンセリングを受けた時だって、カウンセラーさんに父の存在を聞かれた時には、当たり前のように、

「居ないです。」

と答えていました。

「お父さんがいなければ、ゆきちゃんは生まれてこなかったと思うんだけど・・・居ないの?」

と聞かれた時に、初めて、

あ、そうか、居なかったら私は生まれてないか・・・。
私にもお父さんはいるのか・・・。

って思ったのを覚えています。


***


子供の頃の私にとって父は、悪魔のような存在として私の中に君臨していました。

父のせいでウチにはお金がなく、お母さんもいつも家に居てくれない。
(当時、母はスナックを経営していたので、夜はいつも妹と二人で過ごしていました。)


転校先で家族のことを聞かれる時が一番嫌でした。

みんなにはお父さんがいるのに、私だけ居ないってことがとても恥ずかしくて、学校でお父さんの話になると、私はその場を離れたり、逆に父がいると嘘をついたりもしていました。

今の時代では母子家庭は普通ですが、私が小学生の頃は母子家庭の子供は本当に少なく、引っ越した先の福島ではもっともっと少なくて、母子家庭は「普通ではないお家」として見られることが多かったんです。

教科書や鍵盤ハーモニカの名前も、前の苗字で書いてあったので、誰にも見られないように徹底的に隠しました。

私は、きっと自分を隠そうと意識しだしたのはこの頃からだと思います。


転校して暫くが経った頃、クラスで私にお父さんが居ないことが噂になり、みんなに執拗に聞かれた時に、答えに困った私は泣きながら教室を飛び出して家に戻ってしまいました。


私は家に帰って寝ている母に、

「どうしてうちにはお父さんがいないの!!!」

と、泣きながら言うと、母は起き上がり、

「仕方ないやろ!お父さんは私たちを捨てて他の女のところに行ったんだから!」

と、私を怒鳴りつけました。


私はその時初めて父が他の女の人を選んで、私たちを捨てたという事実を知りました。

それは私にとっては本当に悲しく、「自分は捨てられた子」なんだと深く傷ついた出来事でした。

 

今思えば、私はこの時自分が学校で我慢しているすべてを、ただ母に分かってもらいたかっただけなのですが、母にしてみたら私の助けを求める声は、自分を責める声に聞こえてしまったのかもしれません。

父と母が離婚したのは私のせいではないのですが、小さい私は、捨てられた私が悪いんだと思ってしまったのです。


それからの私は、父のことを想像するだけで「捨てられた自分」を感じてしまうので、「父」や「お父さん」というワードをちょっとでも耳にすると、意識の外に追いやるようにしていました。

学校でも「捨てられた自分」を誰にも知られないように、みんなの前では明るく面白い子供を演じてきたように思います。

嫌なことがあって傷つくたびに「捨てられた悪い自分」を感じてしまうので、どんなことでも大したことはないと自分に言い聞かせて、何があっても泣かない子供になりました。


泣かない私はいつも冷静で大人びた子供として育っていったので、母はいつも私に頼って妹の面倒も丸投げし、昼間はパチンコに行き、夜はお店を開けますが男の人と帰ってきたりするので、家には時々男の人もいて、私はそれらのこと全ても、クラスの子に知られないようにと一生懸命隠し続けました。



次回に続きます。



ここまでお読みくださりありがとうございます。


町村ゆき


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