こんにちは、町村ゆきです。
先日、悔しくて悔しくたまらない出来事がありました。
私は3か月に一度、大学病院に通って検査を受けています。
昔、病気をして手術を受けて、その後の経過を観察するための検査で、何年も前からこの3か月に一度の検査を受けているのですが、
この大学病院、交通アクセスが非常に不便なんです。
私の住んでいるところからは電車とバスに乗り継いでいくのですが、電車を降りてからバス停まで少し歩くんです。
以前は電車を降りたらタクシーに乗って病院まで行っていたのですが、ある時、タクシーが捕まらなくて焦って病院に向かって歩いていた時に偶然バスを見つけたんですね。
バスの行先表示板には、私の行きたい病院の名前が書いてあって、それを見つけた時は
「神様ありがとう!」
って気持ちになりました。
それまでは病院の往復に3千円もかかっていたので、今度からはこのバスに乗っていけば往復でも千円でお釣りがくる!って本当に嬉しくなったんです。
タクシーの料金メーターとの攻防戦にも疲れていたので、それらから解放された私は、病院に行くことが全然苦にならなくなったんです。
で、先日のことです。
時間に余裕を持って電車に乗ったのですが、なんかいつもと違う。
遅延している様子。
ゆっくり走っていたのですが、途中の駅で止まって、そこから動かなくなりました。
乗客もちょっとザワザワしだしてきて、
でも、私は駅からバスの時間まで20分の余裕をみていたので、大丈夫だよね
って思っていたのですが、なかなか動かない。
10分ほど過ぎたところで電車がようやく動き出しました。
ホッとしたところで、私は残り時間の計算を始めて、バス停までの徒歩の時間がギリギリなのに気づきました。
バスの本数も1時間に3本しかないので、これを逃したら病院の予約時間に間に合わない・・・。
私は、どうしようってなっていたのですが、降りてから走ってバス停に行けば何とか間に合いそうだなって考えにいたり自分を安心させました。
やっとのことで駅に着いて、改札を通った私は勢いよく走りだしました。
走り出したのですが、自分で想像していたのより、自分が遅いんです。
何この私の足の遅さ!私こんなに遅かった?
これはヤバいぞ!こんな速度じゃ間に合わない!
そう思いながらですが、バス停まで自分が持っているパワー全開で走りました。
長い坂道を上がり、バス停が見えてきて、もう少しっていうときに、私の横を颯爽とバスが通りすぎました。
運転手さんに、
私、ここに居ます!そのバスに乗りたいのです!
と、ゼスチャーを見せながら走りました。
バス停にバスが停車しているのが分かり、私は最後の力を振り絞って走りましたが
もう私の足は思うように走ってくれず、バス停まで残り20メートルの辺りでバスが発車してしまいました。
私は諦めて、息を切らしながらゆっくり歩きだしました。
バス停に到着したころ、タクシーが私の前を通り過ぎたのですが、私はそのタクシーにも乗る気にもなれませんでした。
次のバスに乗ったら、もう病院の予約時間に間に合わない・・・。
久しぶりに走ったせいか、スネの辺りも痛い。
病院の総合案内に電話したけど、受付時間外で繋がらない。
先生が帰ってしまっていたらどうしよう。
そんな思いが込み上げてきて、涙がこぼれてきました。
お前はたったそれくらいの距離も走れない、ダメ人間・・・。
そんな声も聞こえてきて涙がどんどん出てきます。
鍛えてる息子にも、走った方が良いって勧めてもらっていたのに、ストレッチとかスクワットとかやってるし!って言い訳して走ることだけは避けてきたこと。
日頃、電動自転車に頼り切っていたこと。※しかも電動自転車を漕ぐことを運動って言い張ってきたこと。
私は自分の加齢や運動不足という、現実をまざまざと見せつけられたような気がしました。
自分のダメさ加減に悔しさでいっぱいになったころ、思い返せば、いつも私はこうやって言い訳ばかりして、現実から逃げてきたじゃないか?
という、自分の避けていた感情に気づいたんです。
悲しい時に、悲しくないふり。
悔しい時に、平気なふり。
助けて欲しいときに、大丈夫ですっていったり。
一番は、欲しいものをいらないって言ってきたこと。
自分の感情を否認しまくってきた人生だったな。って自分の過去を振り返り、次のバスがくるまでの20分間、泣きまくりました。
でも、次のバスが到着したころにはスッキリして、
「もし時間が過ぎて診察してもらえなかったらちゃんと次回の予約を取って今日は帰ろう」
って、自分の心にも折り合いが付き、私は病院に向かいました。
病院に着いたら、時間が過ぎていたのに先生が診てくれて、無事にその日は検査を受けることも出来ました。
帰りのバスで、行きの出来事を思い出し、
「私、頑張ったけど願いが叶わなくて悔しかったね。でも、悔しさを認められて偉いぞ!」
っていい気持ちになっていたのですが、
バス停で汗だくで、48歳の悔し泣きしている女の人を想像して、怖っ!ってなって一人笑いが止まらなくなってしまいました。
*****
私は頑張ることが本当に嫌いでした。
頑張って失敗したら頑張った意味がないって思っていました。
失敗した自分にもいつも鬼のように厳しい言葉を投げつけていたので、失敗して傷つくことも耐えられませんでした。
でも、本当は、自分に優しくするのが怖かったんです。
失敗した自分を受け入れて、よく頑張ったねって言ってあげることが、私に出来るはずがないって思っていたのだと思います。
だから悔しさも悲しさも感じたくなかったのだと今回の出来事で気づくことが出来ました。
出来ることなら、傷つく経験なんかしたくない。
でも、傷ついたことで気づけたことがあった。
気づけたら学びに変えていけることも出来る。
自分の悔しいという気持ちをそのまま受け入れてあげて、自分の頑張りを認めてあげられたら、喜びを感じることができた私の出来事でした。
ただ、まだ走ってないので、今から走ってこようと思います。
お読みくださりありがとうございました。
先日、悔しくて悔しくたまらない出来事がありました。
私は3か月に一度、大学病院に通って検査を受けています。
昔、病気をして手術を受けて、その後の経過を観察するための検査で、何年も前からこの3か月に一度の検査を受けているのですが、
この大学病院、交通アクセスが非常に不便なんです。
私の住んでいるところからは電車とバスに乗り継いでいくのですが、電車を降りてからバス停まで少し歩くんです。
以前は電車を降りたらタクシーに乗って病院まで行っていたのですが、ある時、タクシーが捕まらなくて焦って病院に向かって歩いていた時に偶然バスを見つけたんですね。
バスの行先表示板には、私の行きたい病院の名前が書いてあって、それを見つけた時は
「神様ありがとう!」
って気持ちになりました。
それまでは病院の往復に3千円もかかっていたので、今度からはこのバスに乗っていけば往復でも千円でお釣りがくる!って本当に嬉しくなったんです。
タクシーの料金メーターとの攻防戦にも疲れていたので、それらから解放された私は、病院に行くことが全然苦にならなくなったんです。
で、先日のことです。
時間に余裕を持って電車に乗ったのですが、なんかいつもと違う。
遅延している様子。
ゆっくり走っていたのですが、途中の駅で止まって、そこから動かなくなりました。
乗客もちょっとザワザワしだしてきて、
でも、私は駅からバスの時間まで20分の余裕をみていたので、大丈夫だよね
って思っていたのですが、なかなか動かない。
10分ほど過ぎたところで電車がようやく動き出しました。
ホッとしたところで、私は残り時間の計算を始めて、バス停までの徒歩の時間がギリギリなのに気づきました。
バスの本数も1時間に3本しかないので、これを逃したら病院の予約時間に間に合わない・・・。
私は、どうしようってなっていたのですが、降りてから走ってバス停に行けば何とか間に合いそうだなって考えにいたり自分を安心させました。
やっとのことで駅に着いて、改札を通った私は勢いよく走りだしました。
走り出したのですが、自分で想像していたのより、自分が遅いんです。
何この私の足の遅さ!私こんなに遅かった?
これはヤバいぞ!こんな速度じゃ間に合わない!
そう思いながらですが、バス停まで自分が持っているパワー全開で走りました。
長い坂道を上がり、バス停が見えてきて、もう少しっていうときに、私の横を颯爽とバスが通りすぎました。
運転手さんに、
私、ここに居ます!そのバスに乗りたいのです!
と、ゼスチャーを見せながら走りました。
バス停にバスが停車しているのが分かり、私は最後の力を振り絞って走りましたが
もう私の足は思うように走ってくれず、バス停まで残り20メートルの辺りでバスが発車してしまいました。
私は諦めて、息を切らしながらゆっくり歩きだしました。
バス停に到着したころ、タクシーが私の前を通り過ぎたのですが、私はそのタクシーにも乗る気にもなれませんでした。
次のバスに乗ったら、もう病院の予約時間に間に合わない・・・。
久しぶりに走ったせいか、スネの辺りも痛い。
病院の総合案内に電話したけど、受付時間外で繋がらない。
先生が帰ってしまっていたらどうしよう。
そんな思いが込み上げてきて、涙がこぼれてきました。
お前はたったそれくらいの距離も走れない、ダメ人間・・・。
そんな声も聞こえてきて涙がどんどん出てきます。
鍛えてる息子にも、走った方が良いって勧めてもらっていたのに、ストレッチとかスクワットとかやってるし!って言い訳して走ることだけは避けてきたこと。
日頃、電動自転車に頼り切っていたこと。※しかも電動自転車を漕ぐことを運動って言い張ってきたこと。
私は自分の加齢や運動不足という、現実をまざまざと見せつけられたような気がしました。
自分のダメさ加減に悔しさでいっぱいになったころ、思い返せば、いつも私はこうやって言い訳ばかりして、現実から逃げてきたじゃないか?
という、自分の避けていた感情に気づいたんです。
悲しい時に、悲しくないふり。
悔しい時に、平気なふり。
助けて欲しいときに、大丈夫ですっていったり。
一番は、欲しいものをいらないって言ってきたこと。
自分の感情を否認しまくってきた人生だったな。って自分の過去を振り返り、次のバスがくるまでの20分間、泣きまくりました。
でも、次のバスが到着したころにはスッキリして、
「もし時間が過ぎて診察してもらえなかったらちゃんと次回の予約を取って今日は帰ろう」
って、自分の心にも折り合いが付き、私は病院に向かいました。
病院に着いたら、時間が過ぎていたのに先生が診てくれて、無事にその日は検査を受けることも出来ました。
帰りのバスで、行きの出来事を思い出し、
「私、頑張ったけど願いが叶わなくて悔しかったね。でも、悔しさを認められて偉いぞ!」
っていい気持ちになっていたのですが、
バス停で汗だくで、48歳の悔し泣きしている女の人を想像して、怖っ!ってなって一人笑いが止まらなくなってしまいました。
*****
私は頑張ることが本当に嫌いでした。
頑張って失敗したら頑張った意味がないって思っていました。
失敗した自分にもいつも鬼のように厳しい言葉を投げつけていたので、失敗して傷つくことも耐えられませんでした。
でも、本当は、自分に優しくするのが怖かったんです。
失敗した自分を受け入れて、よく頑張ったねって言ってあげることが、私に出来るはずがないって思っていたのだと思います。
だから悔しさも悲しさも感じたくなかったのだと今回の出来事で気づくことが出来ました。
出来ることなら、傷つく経験なんかしたくない。
でも、傷ついたことで気づけたことがあった。
気づけたら学びに変えていけることも出来る。
自分の悔しいという気持ちをそのまま受け入れてあげて、自分の頑張りを認めてあげられたら、喜びを感じることができた私の出来事でした。
ただ、まだ走ってないので、今から走ってこようと思います。
お読みくださりありがとうございました。
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