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こんにちは、町村ゆきです。
いつもありがとうございます。


アメブロ恋と仕事の心理学水曜日のテーマ素敵な愛の育て方に投稿した記事です。

よろしければお読みください。



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愛は目に見えないものなので、信じられませんという方もいると思います。

私も長年、愛など存在しないと思って生きてきました。

ですが、癒しの体験をしたり、癒しの現場に立ち会うことで、愛というものを感じられるようになってきました。

でも、感じられるようになったからといって、いつもいつも感じ続けていられるわけでもなくて、愛を感じること自体が怖かったりする時もあります。

それは、愛という存在を否定してきた度合いだけ、愛を感じた自分に疑いを向けてしまうからなのかなと思います。

特に自分に向けられた愛には、否定するどころが、粉々に砕いてしまいたくなる感覚を感じたり。


それくらい愛に対して怖れを抱いているのかもしれません。


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私は小さい頃から人の目をとても怖がって生きてきました。

そのため、人の目に自分がどう映っているのか?をいつも気にしていました。


私、ちゃんとできてるかな?
私、おかしくないかな?
私、間違っていないかな?


自分を信じられないので、このように相手の目を通して自分のことを確認します。

本当の自分ではいつも自信がないので、自信がないダメな自分を他人に知られないように、一生懸命に隠して生きてきました。

こうなったのには、小さい頃に両親との関係で作られたものだったり、学校でいじめられた経験だったりと、色々な理由があります。

どんな理由があったにせよ、自分を隠さなきゃと、自分じゃない自分になろうとして、いつも取り繕っていた自分がいたんです。

なんとなくですが、ニセモノのような感覚です。

本当の自分は「間違っている自分」なので、バレることだけは絶対に回避しなければなりません。

この、自分を隠すという行為は、小さい頃から人生をかけて成し遂げてきた私のミッションでもありました。

しかし、自分を隠すとなると人との距離が出来るので、私は常に寂しさや不安を感じて孤独だったように思います。

なので、その寂しさから人と近づきたいなと思いますが、やっぱり本当の自分で関わることは怖くてできないので、人と関われば関わるほど孤独感は増すばかりでした。


長年そうやって生きてきたので、心理学を学んだからとか、愛を感じられた体験があるからと言って、

「あなたは愛される存在です」と言われても、

「はい、そうですか」と、すんなり受け入れられるはずもなく、

いつまでたっても、自分を見られないようにとか、自分を知られないようにとか、やっぱり自分を隠そうとしてしまう癖みたいなのがあったんですね。

でもですね、

つい最近、自分の長年しがみついていた「自分は間違っている」という思い込みが解けてなくなるような不思議な体験をしました。


私はこのゴールデンウィークに、カウンセリングサービスの母体である、神戸メンタルサービスの5日間のロングワークに参加したんです。

その最終日、私は、

「あなたは愛される存在です」という、言葉の意味を死ぬほど理解できたことがあったので、少しそのお話しをしたいと思います。


私には自分にとって一番大切と言える存在がいます。

でも、私はその存在に対して長年罪悪感を抱いてきました。

何故かというと、自分が関わることで傷つけてしまうかもしれないと怖れてきたからです。

一番大切な存在の前で、私はずっと本当の自分を差し出せずにいました。

大切な存在を傷つけたくないあまりに、自分に近づけないようにずっと距離を取り続けてきました。

当時はそうすることが正しいと思っていたからです。


大切な存在、それは私の娘です。


人と深く関われず、信頼も喜びも感じられない世界で、娘も私と同様、孤独を感じて自分を隠して生きてきました。

私のようになって欲しくないから、傷つけたくないから、私に近づかないように育ててきたのにもかかわらず、娘は私と同じ痛みを抱えていたのです。

私は、子供が傷つかないのであれば、自分はどうなってもいいと思っていましたが、娘もまた、お母さんの為なら自分はどうなってもいいと思っていたのかもしれません。


この日の私は、トレーナーのレクチャーを聞いていて、罪悪感からかムズムズしてきました。

ワークショップではこの罪悪感を癒すことを大切にしています。

罪悪感を癒していくことで、自分を許したり、愛を受け取りなおすことが出来たり、感情のレベルで楽になったと感じることができるからです。

言葉にすると簡単ですが、傷や痛みによって作られた長年の思い込み(罪悪感)を手放すには、当時の痛みや怖れという感情をもう一度感じてあげることだったりするので、


心はとても怖かったり痛かったりします。

毎回のことですが、出来ればやりたくないなと抵抗が出てきたりもします。


私は自分で作った、ニセモノの自分という壁を自分で壊していく必要がありました。

その壁を壊して取っ払ったら、本当の自分が顔を出してしまう…。


人はそんな私を嫌うのではないか?

そう感じるだけで、とてつもなく怖いです。


でも、

私は自分の為には到底頑張れないけれど、もしも、自分と同じ痛みで今も娘が苦しんでいるのであれば、娘の為にチャレンジしようと思いました。

私は自分をずっと責めてきましたが、そんな自分の怖れを受け入れた上で、

生まれてから今に至るまでの娘が、私の為に一生懸命に愛を送り続けてくれていたことを感じながら、その全て受け取ろうって思ったのです。


ここからは少し抽象的な表現になりますが、

この日、セッションが始まったワークで私が見た世界は、娘が世界中の人に祝福されて愛されている光景でした。

あくまで、私のイメージの中の世界なのですが、

でも、見えたんです。

私の娘を祝福している世界中の人の喜びの表情がハッキリと見えたんです。

全く自信のない、怖れおののいている私が、一生懸命に自分の罪悪感に引っ張られそうになりながら、全てを見続けた愛の世界で。



娘がこんなに愛されて本当に良かった…。


そして、娘の母親としてそんな世界を見れたことが、本当に幸せでした。


***


私たちは自分の愛を差し出そうとする時、相手からどう思われるんだろう?

と、躊躇してしまうことがあります。

大切な相手であればなおさら、自分の愛を差し出すことに怖れを感じるかもしれません。


私自身も、自分が誰かを守ったり、誰かを愛するなんてことはずっと無理だと諦めていました。

だから、大切な人を守れない、愛せないのであれば、せめて傷つけないようにしようと自分の本音を隠し、なるべく関わらないようにしてきましたが、

でも、傷つけたくないとか、傷つかないようにとか、前提が全部「傷」なんです。

自分は傷つける存在で、相手は傷つく存在。

その逆もあったかもしれません。

大切な人なのであれば、「傷」という痛みで繋がらず、そのまま「大切」にするで良かったのだと思います。


愛は本当に目に見えにくいものです。

特に、自分に向けられている愛には私たちは鈍感になってしまいます。

だからこそ、立ち止まって相手の愛を見ようとする意欲を持つことが大切なのかなって思います。

あなたに気づいてもらえたら、きっと相手も幸せだと思えるのではないでしょうか。

パートナーでも家族でも、あなたの大切な人との繋がりを何度でも味わってみてくださいね。



最後までお読みくださりありがとうございました。






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